レッスン日記
「苦い思い出」とは?割り算でつまずいた子どもの頃の話
先日、我が子が宿題をしながら憤慨しているのです。
いつもなら終わっているはずであろう時間に、まだ宿題のほとんどが終わっていないのです。
夜ご飯の時間に近付いていて、
ご飯を食べてお風呂に入ってゲームをして、と、
その後の予定がまだまだあるにもかかわらず、その日はまだ何も終わっていない状態に、
焦りと苛立ちで目に涙をいっぱい溜めていました。
「母助けて」と言うので、どうしたのかと聞いてみると、
計算ドリルを広げて、「やり方が分からない」と言うのです。
見てみると、3桁の数字の割り算の筆算。
それを見て、私は自分の苦い記憶を思い出しました。
子どもの頃、私も全く同じところで躓き、分からないと泣きながらテスト直しをしたことがあるからです。
テスト直しをしてもなかなか正解にならなくて、
何度も先生に「もう一度考えてきて」と突き返され、
周りのクラスの子達はどんどん帰っていき、もうほとんど人が残っていない夕方の教室、
ひたらすら分からない計算問題と対峙していました。
凄く辛くて、できないことが恥ずかしくて、とても悲しかったことを覚えています。
結局、一緒に帰ろうと待っていた友人が、私の様子を見かねて、問題の解き方を教えてくれました。
友人に教えてもらったことも、同時に鮮明な記憶として覚えています。
あの日のことは、何十年経った今でも思い出せるくらい、私の中では苦い苦い思い出です。
そして我が子が、あの日の私と同じように、
まさに涙を溜めて「分からない」と言っています。
私は、あの日やり方を教えてくれた友人のように、
子どもに何度も何度も説明しました。
夕方の忙しい時でタスクが沢山ありましたが、
今ここできちんと対応しないといけない、そう思い、ドリルの全ての問題を解き終わるのを隣で見守っていました。
最後はヘトヘトになっていましたが、何度も繰り返して問題を解いたことで、すっかりやり方を理解した様子を見て、
これで良かったとホッとしました。
あの日の私が、今度は教える立場になっている。
いつも日本語を教えているはずなのに、
今回はなんだか不思議な感覚でした。
と同時に、勉強が辛いもの、苦しいものになってはいけないなと感じました。
あの日以来、私は算数が本当に辛くて嫌なものになってしまい、今も毛嫌いしているところがありますが、
小学校や中学校で学ぶことは、義務教育と言われるだけあって、大人になってからも、生きていく様々な土台がそこにあると思います。
スーパーで買い物する時も、何かの手続きをする時も、
全て、国語算数理科社会が基本です。
道徳、体育、音楽、図工、これらも皆、学校で学ぶことは基本中の基本なのです。
ですから、勉強が辛くて、苦しいものになってしまっては、
その後のあらゆる学びに対して、私のようにネガティブな気持ちを持ってしまうのではと思いますし、
そうなってしまっては勿体無いと思うのです。
勉強はもちろん大変です。
しかし、大変だけど面白いです。
知らないことを知っていくことは、世界が広がっていくことです。
勉強が、少なくとも辛くて苦しいものではないよ、と、
そんな風に接していきたいなと改めて感じました。
みんな得手不得手はあります。
苦手でも構いません。みんなそれぞれ、上手にできないことがあって当然です。でも、やり方はあります。
そして世界には、苦手なこと以外にも、沢山の選択肢があります。
算数は苦手だったけど、国語の先生、日本語の先生になれました。
今回、改めて「教える」ということを考えさせられた出来事でした。
西本
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